出雲を読み解く、四つの鍵
出雲市は、大国主大神を祀る出雲大社を中心に、神話と考古学の両方から日本の古代史を照らし続けてきた土地です。 一つは、『古事記』『日本書紀』が伝える国譲りの神話と、そこから生まれた縁結びの信仰。一つは、 平安時代の貴族が「雲太(うんた)」――東大寺大仏殿さえ凌ぐ日本一の高層建築と評した、出雲大社本殿の 知られざる古代の姿。一つは、荒神谷・加茂岩倉の田畑から出土した、当時の日本の出土総数を塗り替える 大量の青銅器。そしてもう一つは、千三百年前の『出雲国風土記』が今に伝える、国土そのものを引き寄せた という壮大な国引き神話。このサイトでは、この四つを中心に、それぞれのページでたどっていきます。
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それぞれ独立して読めます。興味のあるところから、どうぞ。
国土を築いた神が、なぜ縁結びの神になったのか。神話の核心を読む。
読む →追放された荒ぶる神が、大蛇を退治し出雲に宮を建てるまで。
読む →他の土地が神無月と呼ぶ旧暦十月、出雲だけが「神在月」となる理由。
読む →「雲太、和二、京三」。48メートル説を裏づけた、地中の巨大柱。
読む →綱をかけて海の向こうから陸地を引き寄せた神。出雲の国のかたち。
読む →畦道から見つかった358本の銅剣。古代出雲の実像を塗り替えた発見。
読む →1300年続く祭祀の家系。千家家と北島家、そして式年遷宮の歴史。
読む →素鵞社、命主社、稲佐の浜、日御碕神社。大社周辺の小さな聖地。
読む →出雲そば、発祥は「神在餅」のぜんざい、宍道湖の七珍。
読む →しめ縄にお金は本当に縁起がいいのか。噂と公式見解を並べて検証する。
読む →古代出雲歴史博物館から日御碕灯台まで、出雲市を歩く見どころ集。
読む →概観
神話・考古学・信仰史がそれぞれ異なる時間軸で語られるのが出雲の特徴です。詳しい物語は各ページで。
高天原を追われたスサノオが斐伊川上流でオロチを倒し、櫛名田比売と結ばれる。尾から見つかった剣は後の三種の神器の一つとなる。
『古事記』『日本書紀』は、大国主大神が国土を天照大御神に譲った際、その功に報いるための壮大な宮殿が建てられたと語る。
約350〜500mしか離れていない二つの遺跡から、銅剣358本、銅鐸39個(合計)という、当時の出土常識を覆す量の青銅器が見つかる。
現存する風土記の中でもほぼ完本で伝わる唯一の例。冒頭を飾る国引き神話が、出雲の国土観を今に伝える。
貴族の子弟向け教科書が、出雲大社本殿を東大寺大仏殿・平安京大極殿をしのぐ日本一の高層建築と記す。
相続をめぐる争いの末、二つの家が祭祀を分担することに。現在は千家家が出雲大社宮司を務める。
直径約3mの杉の大木を3本束ねた柱が発見され、古代の巨大神殿説に強力な物証が加わる。
旧暦十月、稲佐の浜での神迎神事を皮切りに、全国の神々を迎える神事が今も続けられている。
まず読むなら
平安時代の子ども向け教科書『口遊(くちずさみ)』は、当時の日本で最も大きな建物を「雲太、和二、京三」―― 一に出雲大社、二に東大寺大仏殿、三に平安京大極殿、と順に挙げています。本殿の高さは16丈(約48メートル) という社伝が伝わりますが、長らくこれは伝説の域を出ないと考えられてきました。
その常識が覆ったのは2000年のこと。境内から、直径約3メートルという想像を絶する巨大な柱の跡が 発見されたのです。3本の杉の大木を金輪で束ねた宇豆柱は、まさに巨大神殿説を支える物証でした。 伝説とされてきた高層神殿は、どこまで史実に近づいたのか。次のページでたどります。
本殿の高さの謎を読む →