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03 — 建築の謎

雲太、和二、
京三。

平安時代の子ども向け教科書は、出雲大社の本殿を「日本一高い建物」と記しました。東大寺大仏殿も、 平安京の大極殿も及ばない高さ――長らく伝説とされてきたこの記述を裏づける物証が、2000年、 境内の地中から姿を現します。直径約3メートルという、常識を超える巨大な柱の跡でした。

古代出雲大社の巨大神殿を復元した模型。長い階段状の参道(引橋)が本殿へと続く
宇豆柱の発見をもとに復元された、古代本殿の模型

平安貴族の証言

子ども向け教科書が記した、「日本一高い建物」。

970年頃に成立したとされる『口遊(くちずさみ)』は、貴族の子弟が知っておくべき知識を集めた、 いわば平安時代の教科書です。その中に、当時の日本を代表する建造物を大きい順に並べた、有名な一節が あります。「雲太、和二、京三」――一番大きいのは出雲(大社)、二番目が大和(東大寺大仏殿)、 三番目が京(平安京大極殿)、という意味です。

東大寺大仏殿は、現存する世界最大級の木造建築として知られています。その大仏殿さえも凌ぐ建物が 出雲にあった、と平安貴族が当然のように記していたことは、当時の出雲大社本殿がいかに人々を 驚かせる存在だったかを物語っています。

社伝の高さ: 出雲大社には、本殿の高さが16丈(約48メートル)あったという社伝が 伝わっています。現在の本殿の高さ約24メートルの、ちょうど倍に相当する数字です。

2000年、地中から

直径3メートルの柱と、宇豆柱(うづばしら)の発見。

2000年から2001年にかけて行われた境内の発掘調査で、考古学史に残る発見がありました。境内3箇所から、 3本のスギの大木を鉄の金輪で束ねた、直径約3メートルにもおよぶ柱の根本部分が見つかったのです。 束ねられていた杉の大木1本1本の直径は、それぞれ約1.4メートルにも達していました。

このうち、本殿の正面にあたる位置から出土した柱は「宇豆柱」と呼ばれるもので、鎌倉時代前期 (13世紀前半)に実際に建てられていた本殿を支えていた柱の一部と考えられています。単なる伝説上の 建物ではなく、実際に3本束ねの巨大な柱を用いた本殿が、少なくとも中世には存在していたことを示す、 確かな物証となりました。

古事記が語っていた条件と、地中の物証: 「国譲りと大国主大神」のページで見たように、 『古事記』は大国主が国譲りの条件として「地底の岩盤に届くほど太い宮柱」を求めたと伝えています。 発掘で見つかった直径約3メートルの柱の跡は、神話が語る「太い宮柱」のイメージと、時代を超えて 重なり合う発見といえるでしょう。
発掘現場で確認された、束ねられた柱の根本部分
発掘された巨大柱の跡出雲大社境内遺跡
3本の柱を金輪で束ねた、復元模型の柱の束
金輪で束ねられた柱の束(復元)古代出雲歴史博物館

図面は、実は伝わっていた

『金輪造営図』――出雲国造家に伝わる設計図。

興味深いことに、出雲国造家には古くから、本殿の姿を伝える『金輪造営図(かなわのぞうえいず)』と 呼ばれる指図(さしず、設計図に相当するもの)が伝わっていました。そこには、3本の柱を金輪で束ねた 柱が9本描かれ、地上から長く延びる「引橋(ひきはし)」と呼ばれる階段状の参道が本殿へとつながる 姿が示されています。

2000年の発掘以前、この指図は後世に描かれた想像図、あるいは伝説を絵にしたものとして扱われることも 少なくありませんでした。しかし、実際に3本束ねの巨大な柱の跡が地中から出土したことで、この指図が 少なくとも部分的には、かつて実在した本殿の構造を伝える、貴重な史料である可能性が高まったのです。

金輪造営図。赤い線で9本の柱の配置が描かれた指図
出雲国造家に伝わる『金輪造営図』

それでも残る謎

48メートル説は、確定したわけではない。

宇豆柱の発見は、古代出雲大社に巨大な本殿が存在した可能性を大きく後押ししましたが、これによって 「本殿の高さが16丈(約48メートル)だった」ことが確定したわけではありません。出土した柱の位置や 規模から本殿の構造を復元する試みは現在も続けられており、高さについては48メートル説のほか、 より低い規模を想定する説も研究者の間で議論されています。

研究は現在進行形: 古代・中世の出雲大社本殿がどのような姿だったのかは、 出土した柱の年代や配置の解釈、指図の史料的性格の評価などをめぐって、現在も考古学・建築史の 研究者によって議論が続けられているテーマです。本ページで紹介したのは、その議論の出発点となる 基本的な発見の経緯です。
境内遺跡の発掘現場。柱穴の位置が示された調査区
境内遺跡の発掘調査区出雲大社境内
夕景を背景に展示された、古代本殿の階段部分の復元模型
復元された引橋(階段)の模型古代出雲歴史博物館

もう一つの謎

なぜ、御神体は西を向いているのか。

出雲大社の本殿にまつわる謎は、高さだけではありません。参拝者が拝殿から本殿に向かって拝む向きは 南向きですが、本殿内部の御神体(大国主大神)は、実は本殿の中で西を向いて鎮座しているとされます。 そのため、本殿の真正面(西側)から拝むことで、より大国主大神と正対して参拝できるとも言われ、 実際に西側にも小さな遥拝所が設けられています。

なぜ西を向いているのかについては、稲佐の浜――大国主大神ゆかりの海――の方角を向いているためと する説や、日が沈む方角(西方浄土)と関連づける説など、複数の解釈が語られていますが、これも 定説として確定しているわけではありません。

解釈の一つとして: 御神体の向きの理由については出雲大社の公式な断定的説明が あるわけではなく、参拝者や研究者の間でさまざまな解釈が語られている、という点にご留意ください。

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この社殿が建つ国そのものは、どうやって生まれたのか。

巨大な神殿がそびえたという出雲。その出雲の国土そのものが、実は海の向こうから綱で引き寄せられて できたものだ、と語る神話が『出雲国風土記』の冒頭を飾っています。スケールの大きさでは本殿の謎にも 引けを取らない、国引き神話へと進みましょう。

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