トップ / 国引き神話と出雲国風土記

04 — 国土の神話

綱をかけて、
陸地を引き寄せた。

『出雲国風土記』の冒頭を飾るのは、神が海の向こうの土地に綱をかけ、みずからの足で踏ん張りながら 引き寄せて出雲の国土を築いた、という壮大な神話です。八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと) という一柱の神が国土そのものを「作った」と語るこの物語は、国譲り神話とはまた異なる、 出雲ならではの国土観をいまに伝えています。

『出雲国風土記』の古い写本。表紙と、漢文で書かれた本文のページ
『出雲国風土記』の写本(イメージ)

奇跡的に残った書物

『出雲国風土記』――ほぼ完本で伝わる、唯一の風土記。

奈良時代の733年、朝廷の命により各国でまとめられた地誌が「風土記」です。多くの国の風土記は 散逸したり、断片的にしか伝わらなかったりしていますが、『出雲国風土記』は現存する風土記の中で 唯一、ほぼ完全な形で今日まで伝わっている、きわめて貴重な史料です。

郡ごとの地名の由来、産物、神社の一覧などが淡々と記録されていくこの書物の冒頭、意宇郡(おうのこおり) の項目を開いてすぐに語られるのが、これから紹介する国引き神話です。実務的な地誌の書き出しに、 これほど壮大な神話が据えられていること自体が、出雲という土地がみずからの成り立ちをどのように 語ろうとしていたかを物語っています。

神話の本筋

「国が小さい」と嘆いた神は、余った土地を引き寄せることにした。

神話は、八束水臣津野命という神が「出雲の国は、幅の狭い布のように小さく作られてしまった国だ。 それならば、縫い足してもっと大きくしよう」と考えるところから始まります。そこで神は、海の彼方に 余った土地がないかと見渡し、余分な土地を見つけては、太い綱をかけて「国来(くにこ)、国来」と 掛け声をかけながら、ゆっくりと手繰り寄せていきました。

八束水臣津野命、詔(の)りたまひしく「八雲立つ出雲の国は、狭布(さぬの)の稚国(わかくに)なるかも。 初国小(はつくにちひ)さく作らせり。故(かれ)、作り縫(ぬ)はな」と詔りたまひて…… 『出雲国風土記』意宇郡冒頭・国引き神話(書き下し要旨)

引き寄せられた土地は四つ。「新羅(しらぎ)の岬」から引いた土地は「杵築の御崎(きづきのみさき)」 となり、「北門(きたど)の佐伎(さき)の国」「北門の良波(よなみ)の国」、そして「高志(こし)の 都都(つつ)の三埼」からもそれぞれ土地が引き寄せられました。引っ張るのに使った綱そのものも、 「薗(その)の長浜」や、現在の弓ヶ浜(夜見の島)といった地形になったと語られます。そして 国を引き寄せる際に杭として打ち込まれたのが、現在の三瓶山(さんべさん)と大山(だいせん)です。

「新羅」「高志」をどう読むか: 神話中の「新羅」は朝鮮半島、「高志」は北陸地方を 指す地名です。実際にこれらの土地から人や文化が出雲へ渡ってきた歴史的背景を反映しているとする説も ありますが、あくまで神話の記述であり、地理的な史実そのものを直接語るものではありません。

神話が生まれた土地

島根半島は、かつて島だったのか。

国引き神話が語る国土は、現在の島根半島とその周辺の地形とおおむね対応しています。この一致から、 地形学的にも、島根半島がかつて宍道湖・中海をはさんで本州から独立した島(あるいは複数の陸塊) であったものが、砂州の堆積などによって徐々に陸続きになっていった、とする見方が指摘されることが あります。

神話が語る「引き寄せて縫い合わせた」という表現は、複数の陸地が長い時間をかけて一つにつながって いく、そうした土地の成り立ちの記憶を、神話的な言葉で語り伝えたものではないか――という解釈は、 多くの読み手を惹きつけてきました。国の名「出雲(いづも)」自体が、「国を引き(率、ゐ)て 意布(おふ、成し遂げ)た」ことに由来する、とする語源解釈も伝わっています。

神話と地形学のあいだ: 国引き神話と実際の地形形成史を結びつける見方は、この神話を 読む上でよく紹介される興味深い解釈ですが、風土記の記述そのものが地質学的な事実を記録したものでは ない、という点には注意が必要です。神話は神話として、実際の地形学的研究とは別の史料として 扱われます。

次に読むなら

神話の国から、考古学の国へ。

国引き神話が語る壮大な出雲の国土からは、実際に古代の遺物も数多く発見されています。中でも 1980年代、田んぼの畦から見つかった大量の青銅器は、日本の古代史そのものを塗り替えるほどの 発見でした。神話の出雲から、考古学の出雲へ。荒神谷・加茂岩倉の物語をたどります。

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